赤坂街歩き

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ダルマ宰相 高橋是清 その1

「赤坂物語」著者 河端淑子

青山通りを赤坂見附から渋谷に向かって歩いていくと、草月会館とカナダ大使館の間にこんもりとした樹々に囲まれた小さな公園がある。クヌギ、椎の木、楓、梅、桜と思い思いに広がった枝の合間からようやく空が見える緑深いこの空間は、さながら都会のオアシスのように道行く人の心を和ませてくれる。

旧称・赤坂表町・現赤坂七丁目にあるこの公園は「高橋是清翁記念公園」といい、昭和十一年に二・二六事件で暗殺された大蔵大臣・高橋是清氏の屋敷跡である。当時の高橋邸の敷地は二千坪あり。高橋氏はここに三十六年の長きにわたって住まわれた。事件後、邸宅は多摩霊園に移され、敷地は東京市に寄附されて、その一部が公園になっている。

今、初夏の昼下がりに公園を訪れてみれば、青葉がきらきらと眩い日差しに照り映え、人々がベンチでくつろぐ、のどかな風景がある。一体、今から五十六年前の二月二十六日の雪の早朝、ここで何が起きたのだろうか?
その朝、時計の針が午前五時を回るか回らない頃、女中頭の阿部千代は異様な物音を聞きつけ、はっとして飛び起きると、是清の寝室に知らせに走った。ここ数年、たび重なる昭和の恐慌が経済界の混乱と民衆の生活を破綻に追い詰め、満州事変、五・一五事件と軍部ファシズムが台頭し、政府の要人の警備強化がいわれていた時代であった。

千代が不安を声ににじませて、扉越しに是清に伝えると「なに、雪の落ちる音だろう」と、落ち着いた声が返ってきた。是清はまだ床の中だった。それでも、千代は何か悪い予感がして、「ちょっと見て参ります」と小走りに階段をかけ降りた時、一階の雨戸がスーッと開き、蒼白な顔をした将校の目があった。

それから、またたく間に、邸内にいた二十名近い人たちは、武装した兵隊に取り囲まれて、恐怖のあまり身じろぎもできずにいた。

その時、「何をするのだ!」という高橋蔵相の声がして、四発の銃声が連続して聞こえた。それが八十三歳の是清の最後の声だった。

世にいう二・二六事件は、国粋主義者の一部青年将校が総勢一四〇〇名の兵隊を率いて、政府要人の大量暗殺を決行したもので、結局鎮圧されて、暗黒裁判のうちに十七名の青年将校が処刑された。

気さくで明るい是清の不慮の死に衝撃を受けた人は多く、赤坂表町の屋敷は弔問の客が数日間ひきもきらなかったという。

その2に続く
赤坂タウン誌より:「赤坂物語」 | permalink | - | - | pookmark |

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