赤坂街歩き

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高橋是清(1854─1936)

みなさん、最近NHKで放映された「坂の上の雲」をご覧になりましたか。正岡子規や秋山真之の大学の予備校のような共立(きょうりゅう)学校時代の英語の先生として高橋是清が登場します。

彼は赤坂七丁目に長く住み、昭和11年2.26事件で凶弾に倒れ、その自宅で83歳の生涯を閉じることになりました。
 その時暗殺に向かった青年将校と兵隊たちは同じ赤坂の近衛第3連隊(現TBS周辺にあった)所属で、26日雪の降る早朝に徒歩で高橋邸に向かい、凶行に及びました。

彼は明治、大正、昭和にかけて、日銀総裁、総理大臣、大蔵大臣など多くの要職を歴任し、特に財政にかけては大きな力を発揮し、何度となく日本の財政危機を救いました。

特に、日銀副総裁の時に日露戦争当時の財政事情を改善するために外債の募集に外国にいきますが、日ロ戦争の戦況に一喜一憂しながら、結局は日ロ戦争に日本が勝利したことで、目的を達成したのです。

暗殺された当時も何度目かの大蔵大臣をしている時で、軍事予算の削減を提案し、軍部批判をしたためにそれに反発した青年将校に暗殺されました。
また、陽気で親しみやすい性格から「だるま宰相」と呼ばれていましたが、これは共立学校時代に英語を教えた正岡子規が「だるまみたいな人だ」といったことから付けられた渾名だとか(「坂の上の雲」より)。

余談になりますが、この共立学校は後に開成中学・高校となり、彼は初代の校長を務めています。また、暗殺の時に住んでいた高橋邸は現在、小金井公園の「江戸・東京たてもの園」に移築されています。中を見学することもできますし、お茶もできるようになっています。赤坂のタウン誌(1992年秋号)にもっと詳しく掲載されていますので、ご覧ください。
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