赤坂街歩き

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知っていますか、今のTBSのところは近衛第三連隊があったのを その2

近衛第三連隊と赤坂

今から56年前(現72年前)赤坂で何が起きたのか。


1936年(昭和11年)2月26日雪の降る朝、近衛第三連隊から決起部隊に参加したのは中橋基明中尉率いる第7中隊の2個小隊130名ほどであった。営門を出る時は明治神宮参拝と伝えたが目標は高橋是清邸。連隊の正門はコロンビア通りに面し、三分坂を上がったところにあったので、高橋邸への道はコロンビア通りから薬研坂を通る道。参加した部隊は雪の中、薬研坂付近ではじめて当日の決起の話を聞かされ、高橋邸襲撃部隊に実弾が渡されたという。私邸にあった大蔵大臣高橋是清は若い青年将校が放った銃弾と軍刀二太刀のもとにそのまま命を断たれてしまった。今の高橋是清記念公園がその現場である。この事件によって、我が国は第二次世界大戦への歩みを急速に早めることになったと言われる昭和史に残る大きな事件であった。


この事件の間、赤坂周辺はバリケードが築かれたり、見物のヤジ馬が押しかけたり、鎮圧部隊の兵隊、軍隊の車、青年将校らのアジ演説などと騒然としたもので あったという。特に、赤坂見附周辺は軍隊のバリケードがものものしく、緊迫していたという。今、同じ場所に立っていると、56年前のそんな事件は物語だっ たのではないかと思われるほど、今の赤坂からは想像するのは難しい。しかし、この赤坂には当時を身をもって体験している人が多いという事実に「さほど昔の ことではないのだぞ」という現実感をあらためて取り戻したりするのだが。

その時、町の人たちは

赤坂にはこの時のことを鮮明に覚えている人たちがまだ健在だ。

東京はひどい雪であった。事件の一報が知らされてのが、8時30分の重大ニュースの発表であった。当日の朝は都電も走らなかったし、事件のことについても知らなかったので、町は静寂そのものだったという。しかし、翌朝になると早朝から、軍隊が「これから戦場になるかも知れません。避難してください」と各戸に掛け声をかけて走り回ったという。「朝ごはんもまだ食べ終わるか終わらない時でした」とは当時から一ツ木に住んでいる人の話。26日夜半に戒厳令が布かれたのである。そのため周辺の人は雪の降る中、避難場所となった檜町小学校に急いだ。途中には市街戦に備えてか、雪をつめた土のうが積まれ、機関銃の台も備えつけられて、周囲には今にも何かが始まるのではないかといった不安な空気が流れていたともいう。商売をしていた人は「すっかり店を空にしての避難なので、店はどうなってしまうのかと不安かつきなかった」と当時を思い出す。

その避難生活も事件が鎮静化に向かったので当日の3時頃までには、全員が家に帰れたという。しかし、事件が未解決のままでなんとなく周囲は落ち着かない日々だったとか。一方、決起部隊が立て籠った山王ホテルや料亭幸楽は都電通りを挟んで向かい側。地元の人々は家に帰ってからも事件のことが気になり、山王ホテルや料亭幸楽の出入りの本屋さんは「注文もないのに本を届ける振りをして山王ホテルや料亭幸楽の様子を窺いに行ったり」また、他の人は「幸楽や山王ホテルの前で青年将校が入れ替わり立ち代わり演説するのを聞きに行ったり」していたとか。聞いていた人に言わせれば、「農村の窮状など決起の理由を話していたが、彼らの話は過激過ぎて分からなかった」という。当時の世相は「この赤坂の商店街でさえ売り上げが上がらず、若い人やその他多くの人も仕事や働く場がなく、不況は深刻だった」という。

新しい街への変身

近衛第三連隊のあった一ツ木の丘は昭和20年の空襲で焼け野原になり、そこからは東京中が見渡せたという。その後、バラックが建ち引揚者や戦災者のための住宅として利用されていたが、昭和27年TBSに払い下げられ、昭和30年4月にこの場所からTBSのテレビ放送が開始された。テレビ放送の時代は赤坂に一つの転換期をもたらした。芸能人や関連の仕事の人たちなどで賑わい、大きく変わってくるのだか、今、国際化時代の到来でまた大きく変わろうとしている。2・26事件の時に近衛第三連隊の跡も青年将校が立て籠った山王ホテルも料亭幸楽も今、新しい高層のインテリジェントビルや国際ホテルなどに変身するためにスタンバイしているように見える。時代はあの時と同じように動いているようだ。






この記事は「赤坂タウン誌 Vol.3(1992年初夏号)」に掲載した内容を復刻掲載いたしました。

赤坂タウン誌より:新赤坂紀行 | permalink | - | - | pookmark |

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