赤坂街歩き

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高い地代を払って生まれた高級「簾」は、日本一

赤坂3丁目 鈴松商店 鈴木寿雄さん 

鈴松商店の簾と鈴木寿雄(故人)さん
鈴松商店の簾と鈴木寿雄(故人)さん

赤坂のド真ん中の喧噪のなかからかすかに簾を編む音が聞こえてくるるパタン、パタンとおもりの駒が交互に行き交う音やキュー、キューと材料をしめつける音だ。ここが3丁目の鈴松商店。2代目になる社長の鈴木寿雄さんは15歳の時から50年以上も簾を作ってきた。


その昔、平安時代から簾はヨシ、ガマ、タケ、ハギなど身近にある材料を利用した日常に密着した生活用品として遮光や通風、目隠しなどに使われてきた。そし て、どんな家庭にも一カ所ぐらいはかならず掛けられていたものである。しかし、昨今そういった記憶を持つ人も段々少なくなっているのではないだろうかと思 われる。その証拠に「現代では部屋のインテリアとして使われることが多くなっている」とか。戦前には東京にも80軒ほどあった簾屋も現在(平成3年当時) は17〜18軒になってしまったそうだ。

鈴松商店は大正2年、高級料亭が軒を連ねる赤坂で創業し、一貫して高級簾を製造してきた。料亭には日本間が多く、その遮光や間仕切りには簾を利用しており、その上、数年ごとに新しい簾と交換する。そのため、需要は大変多く、4月頃から7月いっぱい(料亭の衣替えの日)まで「昼夜兼行で仕事をこなすほどだった」とか。今では、料亭の数が減り、室内もクーラーが完備されるようになって、簾を使うことも少なくなった。そして、東京でも高級な簾を作っている店も数少なくなり、簾そのものも年々個別化、高級化が進み、注文品がほとんどになってきた。さらに、最近では、身近に材料がありながらそれを採る人がいないため、良質の材料が集まらず、材料集めに一年の半分を費やすこともしばしばで高級化に拍車がかかっている。

最近、個人でも茶室を持つ人も多く、鈴松商店にくればセンスのよい簾が注文できると、建築家の人と訪れる人が多いとか。そして、今、店を訪れる人の8割が顧客だという。「お客さんも都心に近い赤坂だから足を運んでくれるし、また、赤坂の古い伝統文化の中で育まれてきた製作の技術とセンスに対する信頼も厚いからに違いない」と鈴木さん。店内の高級簾の数々を見ていると、何かふるさとに帰ったようなやすらぎがあるのは、やっぱり日本人だからなのだろうか。



この記事は「赤坂タウン誌 Vol.2(1991年秋季号)」に掲載した内容を復刻掲載いたしました。

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