赤坂街歩き

赤坂を歩いて気づいた事感じた事を発信いたします
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三分坂

 

三分坂

急坂なので上るために車賃を余分に銀三分(現在の百円あまり)払わなければならなかったため、この名前が付きました。この坂は傾斜が急な上にカーブが二つもあり、交通量も多いにもかかわらず交通事故はほとんどないとのこと。坂の上り口には江戸時代後期に活躍した力士、雷電為右衛門の墓のある報土寺があります。 

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元氷川坂

 

元氷川坂

坂の途中の東側に本氷川明神があった。明治16年氷川神社に合祀された。氷川坂のうらにあたり、坂の下には江戸末期、勝海舟の屋敷があり、ここに住んでいる時に、咸臨丸の艦長としてアメリカへ渡りました。


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牛鳴坂

 

牛鳴坂

この道は状態が悪くだらだらと長く続くので、荷車を牽く牛が登るに難儀して悲鳴を上げたことからこの名前つけられたといいます。今の青山通りが整備されるまでは、この通りが鎌倉時代には奥州道、江戸時代には厚木街道と呼ばれ、東海道の裏街道として江戸への物資輸送の貴重な動脈となっていました。また、江戸の庶民にとっては厚木にあった大山阿夫利神社への「大山詣で」の道として多いに賑わったといいます。


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丹後坂

 

丹後坂

米倉丹後守(西尾丹後守ともいう)邸があったこことから、こう呼ばれています。元禄元年(1688)に開かれたと推定され、赤坂の中でも古い坂。かつての丹後町と一ツ木町の町界となり、長さ4間、幅4間半の坂ですがあまりの急坂なので何時しか階段となり、人々は丹後段々と呼ぶようになりました。


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円通寺坂



円通寺坂

元禄8年(1695)頃に坂の上に移転してきた円通寺の名前を採った坂。それ以前にも同名の別院があったといいます。昔、このお寺の隣に木造建築のモダンなクリスチャンの幼稚園があり、昭和2〜11年頃には児童数は千人を数えたとも言われています。


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稲荷坂



稲荷坂


坂の下、北側の角地に円通院があり、その境内の稲荷への門があったため、稲荷坂と呼ばれたようになったそうです。

一時坂の途中から坂上の両側に江戸城内の清掃役を務めたご家人の組屋敷があったので掃除坂とも呼ばれていたそうです。

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赤坂は坂の街 のぼったり、くだったり。

街を行き来する人は必ず坂に出会います。

大昔、赤坂の台地のところまで、海がせまっていたのです。人々の生活は台地の上で始まり、貝塚も見つかっています。

台地に通じる道が坂となり、人はそれぞれの坂に身近な名前を付けて呼ぶようになり今に言い伝えられています。

その名前は何に由来しているのか、そして、その周辺の興味あるエピソードなども加え、赤坂の魅力を紹介していきます。
赤坂には名前のついていない坂もたくさんあるんですよ。
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